種子島キュイジーヌ

ー料理の力で世界を変えるー


 鹿児島県の種子島で、循環型有機農業での生姜作り、自然栽培での米作り、森林保全活動としての「松がれ」松の伐倒処理、鹿の狩猟(罠猟)、手銛での素潜り漁と、多岐にわたる活動に体当たりしている。同時に、それら自然から得た食材と体験を、料理人としてお皿に落とし込んいる。

 

 70年代から80年代にかけて、「アメリカの食を変えた」という「カルフォルニア・キュイジーヌ」。今世紀に入ってからは「ニューノルディック・キュイジーヌ」が「北欧の食を変えた」という。料理には、その土地や社会、人々の生き方までをも変革する力があると思う。「種子島キュイジーヌ」は、日本の離島から社会を変革し、世界へコミットしていく道を切り開くメディアだ。

 

 2001年9月11日、ニューヨーク「アメリカ同時多発テロ」。世界を揺るがす事件に、当時18歳の自分は「語る言葉」を持っていなかった。20歳で大学入学資格検定を取得して、大学でジャーナリズムを専攻した。卒業後、月刊誌『DAYS JAPAN』のフォトジャーナリズム・スクール一期生として学ぶ。その後、フリーの写真家として「地球に生きる」をテーマに、『アサヒカメラ』『週刊現代』などの雑誌媒体での発表や、東京での写真展などを行ってきた。

 

 2011年3月11日、東日本大震災。撮影機材、食料、燃料を車に積み込んで、先輩ジャーナリストと共に、翌日、被災地に入った。自然の力に対して、どこまでも脆い社会システムを目の当たりにすると同時に、人間の逞しさも知った。とりわけ未曾有の災害にあって、昔ながらの「農的暮らし」をする東北の人々は強かった。

 

 「豊かさとは何か」。

 

 震災後自分自身への問いとして、痛烈に心に突き刺さった。2012年、結婚を機に妻の郷里、種子島に移り住んだ。「有機生姜の栽培で、地域を元気にする」と、西之表市地域おこし協力隊一期生の彼女が起こした「一般社団法人なかわり生姜山農園」を手伝うかたちで、写真家をしながら就農する。

 

 農薬や化学肥料、除草剤を使わないのはもちろんだが、福岡正信のような、自然に対して正直に向き合い「農から創造される世界観」に憧れた。そんな時期、ミシェル・ブラスの「ガルグイユ」に出会った。「農から創り上げたい」と、思い描いていた世界が、たった一つのお皿の上で、全て表現されていた。

 

 ブラスは、有名シェフや高級店で修行するのではなく、母から教わった料理をベースに、自然の中で思考するうちに世界観を作り上げたという。「近道」はないと思う。種子島の自然に体当たりで立ち向かいもがくことが、道を切り開き新たな世界の創造に繋がると、信じている。

 








「Terra Madre Salone del Gusto 2016」にて、憧れのブラスに自慢のオーガニック生姜を手渡した



写真掲載書籍

『TSUNAMI 3.11』